カネカネキンコ 愛の劇場 第7話


前回


「死んでもいい人間なんて、この世にいないわ!」(某アニメのヒロインのセリフ)


 はい嘘。


 死ななくてはいけない人間はいますー。他人をロリコンにしちゃう能力をもつ井村さんですー。そして、そんな井村さんを「殺さねばならぬ」と考えてしまっている俺ですー。


 そんなわけで俺は、睡眠薬を飲ませた井村さんを車椅子に乗せて「ことぶき園」を出て、近くの公園へと向かっています。その公園は、昼間も夜も人がいない都会の闇みたいなところで、そこでなんらかの方法で井村さんを葬り、そして己も果てようと思っています。


「『ロリコン化波動』に存在を知らない人からしたら、俺は『なぜか身内でもないおじいさんと無理心中した犯罪者』として、語り継がれていくんだろうなー。妻よ、すまん。おそらく君には、重い十字架を背負わせてしまうことになるだろう」


 そうこうしているうちに、公園に辿り着いた。


「うほ! うほっ!」


 平日の昼間だってのに、公園にはかわいい女の子が1人いた。年頃は小学生くらいで、なぜかゴリラのマネらしきことをしている。かわいい。かわいい。かわいい。ブスッ(針)。女の子は、俺と井村さんをじっと見つめていたかと思うと(やだ、俺、めっちゃどきどきしてる!)、突然、公園の隅のベンチに向かって走り出した。ベンチには、新聞を読んでいる男が座っていた。チンピラみたいな男だった。


「父ちゃん、父ちゃん! 死体を運んでいるよ!」


「うるせえ、クソガキ!」


 なんということだろう、男はいきなり、駆け寄ってきた女の子を蹴飛ばしたのだ! 吹っ飛ばされる格好もかわいい女の子。ブスッ(はり)。


「今、競馬新聞を読むのに忙しいんだ。ちかよんな」


 チンピラ改め、女の子(かわいい)の父親の読んでいた新聞は競馬新聞だった。なぜか半年くらい前の。赤ペンや赤鉛筆でチェックを入れすぎて真っ赤になっている競馬新聞を読みながら、ブツブツとなにかを呟きだす男。時折、右腕につけている時計にむかって話しかけたりしている。女の子は、そんな病んだ父親をしばらく見つめていたが、あきらめたような表情をうかべて、またしても「うほうほ」とゴリラのマネをして遊び始めた。


 複雑そうな事情があるようだったが、身内でもない老人と死出の旅にでようとしている俺には、関係ない。俺は井村さんの乗った車椅子を止めると、空いているベンチに腰をおろした。


(この悲惨親子がいなくなったら、死のう)


 ゴリラのマネをしている女の子に目を移す。かわいい。うほうほ。ブスッ(針)。かわいい。うほうほ。ブスッ(針)。かわいい。うほうほ。ブスッ(針)…。単調な思考のせいだろうか。針で手を刺しているにも関わらず、俺は猛烈な睡魔に襲われた。


 目を覚まして最初に目に飛び込んできたのは、ゴリラのまねを止めて、笑顔で走り回っているとてもかわいい女の子の姿だった。笑顔? なぜ笑顔?


「あ!」


 俺が驚くのも無理のないはなしだ。さきほど、我が娘に容赦なく蹴りを浴びせた父親が、娘に負けないような笑顔で、同じように走り回っていたのだ。


「まてよーまてよーははははー」


「おとーさん、おとーさん。きゃははは」


 それは、まぎれもなく、幸せな親子の姿だった。欲望のかけらもない、純粋に子供を愛する姿がそこにはあった。公園のゴミ箱には、例の半年前の競馬新聞が捨てられていた。時計を見てみると、俺が眠ってから、だいたい2時間が過ぎていた。


ロリコン化波動」の力だと、俺は思った。「ロリコン化波動」の発生元である井村さんに長時間接する機会の多かった俺や敷田さんは本格的にロリコンと化してしまったが、2時間しか井村さんの近くにいなかったこのチンピラダディには、「子供好きになる」程度の効果しかなかったのだ。そういえば、同僚にもやたらと自分の子供の写真を見せびらかすヤツが多い。


ロリコン化波動」には、人のためになる効果もある。親が子を、子が親を殺すことが当たり前になっている昨今。この効果は、どれほどの光明で、日本の未来を照らすだろう!


「死ななくていいんだ、井村のじいさんは。死ななくて、いい!」