「ご恩と奉公の話」改めまして「信じれば夢はきっとかなう話」 第2話


前回


 権田哲郎は、家に帰るなり「お父様、お母様、ご先祖様、ただいま戻り申した」の一言もなく、玄関で乱暴に靴を脱ぎ散らかし、そのまま己の部屋に直行した。途中でおかあさんがなにか言っていたけど無視。親を必要以上に無視することががかっこいいと思っている年頃なのである。


 部屋に入った権田哲郎は、制服をさきほどの靴と同じように脱ぎ散らかし、鞄から下校中に買ってきた本を取り出した。アニメの女の子が微笑んでいる表紙が特徴のその本は、さえない主人公がある日(中略)という、若者に夢と希望と妄想と現実逃避を与えてくれる小説だ。ベッドに寝転んで読み始める権田哲郎。なぜかニヤニヤ笑っていて、正直、友達になりたくない。


「哲ちゃん、ごはんよー」というお母さんの声が権田哲郎の耳に飛び込んできたのは、小説を読み終えたのとほとんど同じタイミングだった。「ごはんよー」というおかあさんの声に、当然、権田哲郎は返事をしない。親を必要以上に無視することをかっこいいと思っている年頃の権田哲郎は、今まさに思春期真っ最中なのである。小説とか読んでも、登場人物の恋愛沙汰しか頭に残らない思春期なのである。思春期真っ最中で「俺、1人で生きていけるんじゃね?」とか思い始めている権田哲郎が、親に返事など、できようはずがない。口が裂けてもできようはずがない。


 それでも腹は減る。「親は飯を作るマシーン。親は飯を作るマシーン」と自分に言い聞かせて妥協し、哲郎は部屋を出て、食堂を兼ねている台所へ向かった。


「不機嫌、ここに極まり」という思春期特有の表情をした権田哲郎が台所に入ると、おかあさんが皿に料理を盛り付けて、おとうさんがその皿をテーブルに並べているところだった。


「今日は仕事がはやく終わってな。はやく終わってな」


 皿を並べながら、哲郎に話しかけるおとうさんだったが、哲郎は無視。思春期のヤツは、おかあさん以上におとうさんを憎しみの対象とするのである。


 ところで、なぜお父さんが仕事が終わったことを二度も繰り返し、強調したのか。それには理由がございまして、前回、「権田哲郎の父親は会社をリストラされただっちゃ」とか書いたんですが、それをなかったことにしたいからです。なかったことにするには、本人に否定していただくしかなかったのです。本当です。信じてください。


 とりあえず、読者の皆様は「権田哲郎のおとうさんはリストラされていない」と、声にだして3回唱えてください。きっと「権田哲郎のおとうさんはリストラされていないんだ!」という気持ちになります。


 おとうさんを無視した権田哲郎は、テーブルを囲んで置かれているイスのひとつに腰掛けると、


「メシができているっていうから来てやったのによ、まだ盛り付けしているじゃねえか。詐欺だよ、詐欺!訴えられたくなかったら、さっさと俺の前にメシを運べよ」


思わず殺意を抱きたくなるようなことを言った。思春期ならではの、親罵倒セリフだ。親を必要以上に無視することをかっこいいと思っている年頃の権田哲郎が、唯一「親とかわしていい言葉」は罵倒の類なのである。


「ごめんよ、ごめん」


 おとうさんは、謝りながら権田哲郎の前に料理を並べる。「いただきます」の一言もなく、権田哲郎は食事を食べ始めた。味噌汁の入ったお椀を手を伸ばす権田哲郎。と、その時。


「親に向かってその口の利きかた、感心できぬでござるな!」


 そんな声が、権田哲郎の耳に飛び込んできた。声の出所は、お椀だった。権田哲郎が取ろうと手を伸ばした、味噌汁の入ったお椀だった。我が耳を疑った権田哲郎、腕をひっこめて、しばらくお椀を見つめる。しばらく見つめた後、なにかを決意したような顔つきになった権田哲郎は、ことの真相を確かめるべく、おそるおそる顔をお椀に近づけた。


 と、その時。お椀がなにかが飛び出してきた。長くて太いそれは、どう見ても人間の右腕だった。ネギなど味噌汁の具がたくさんくっついているその右腕は、権田哲郎の顔を鷲づかみにして、ぎゅうぎゅうと絞め始めた。